熊本城は2052年度中の完全復旧へ…あれから9年「まだゼロじゃない」現在地
熊本地震の前震から9年を迎えた、4月14日の益城町。朝早くから地域の人が集まる食堂です。
■客
「朝飯食べて弁当も作ってもらって仕事に行きます」
店を切り盛りするのは、地震で自宅や店を失った岩崎すえみさんです。
■きやま食堂・岩崎すえみさん
「地震の時、茶碗でご飯食べたことないやろ、みんなトレーに入ったご飯を食べていた。たとえお茶漬けでも茶碗で食べさせてやる」
現在も、自宅や店の再建が終わっていません。
■きやま食堂・岩崎すえみさん
「まだ地下に埋もれている状態。まだゼロ地点には立っていない」
2016年4月、最大震度7の地震に2度見舞われた熊本地震。19万8000棟以上の建物が被害を受け、関連死を合わせて275人が犠牲となりました。あれから9年。益城町では地震後に建てられた新しい家が増えた一方、商業地や宅地などを整備する区画整理の工事が今も続きます。一方で、県によりますといまも益城町で2世帯4人が自宅再建をできずにいます。
家を失った人の多くが暮らす災害公営住宅です。ひとり暮らしの女性は去年、100歳を迎えました。
■100歳でひとり暮らしの女性
「恐ろしかったですね。やっぱあれはやっぱひどかったですね。あの怖かったことはずっと忘れないですね。きょうも生きていた。明日も生きていたというありがたいこと」
県庁では追悼式が行われ、知事や14人の遺族が出席しました。息子の晃さんを亡くした大和忍さん。去年、夫の卓也さんが亡くなり、ことしは晃さんの兄・翔吾さんと参列しました。
■大和忍さん
「毎年主人とは一緒に来ていましたし、晃も一緒に連れてきてましたので(卓也さんに)『一緒にこんね』というふうに朝声をかけて、主人の声が聞こえたような気がして『なるようにしかならんたい』っていつも言っていたので、その言葉がふっと頭に聞こえてきた感じでした」
熊本市ではこの1年の間に新たに2人が災害関連死の認定を受けました。県はことし、遺族の意向を受け初めて遺族どうしの交流の場を設けました。7人が約45分言葉を交わしたといいます。娘の花梨ちゃんを亡くした宮﨑さくらさんも交流の場を求めた1人です。
■「交流の場」発起人の1人・宮﨑さくらさん
「1人で(追悼式に)行くわけではなくて、みんな一緒にみんなで手を合わせに行くんだって思えたことがすごく私も温かい気持ちで、本当に皆さんに対して手を合わせることができたかなと思います」
地震で大きく傷ついた熊本城です。4年前に一般公開を再開した天守閣には、雨の中多くの観光客が訪れていました。
■滋賀からの観光客
「崩れているところが残っているところもあって、まだまだ傷跡が残っているところもあるんだなとは見ていました」
■神奈川からの観光客
「(熊本城は)シンボルなんだろうなと思って、 ここがきれいになることによって熊本の人たちもすごく元気になるのかなと思いました」
完全復旧は約30年後の2052年度中。元の姿を取り戻す日まで少しずつ、歩みを進めます。