記憶をつなぐ無言の証人 残された門からたどる軍都熊本
「まず私も最初に気になったのが、実はこの門だったんですね」
熊本県民テレビの一角にあるレンガ造りの門の前で話すのは、戦争に関する施設や歴史資料を調べているくまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク代表の高谷和生さんです。 “軍都熊本”と呼ばれるゆえんがこの地にあるといいます。
「陸軍第6師団の中核をなすのが歩兵第13連隊。その施設がこの一角にあるというのは早くからわかっていて、その門だということは何となく漠然とわかっていたのですが、どこにも詳細が残されていなかった」
現在の熊本県民テレビ、熊本学園大学、熊本県立劇場、大江保育園などがある場所には、かつて陸軍の歩兵第13連隊補充隊、西部軍第16部隊がありました。明治期に熊本城内にあった歩兵第13連隊は、大正期にこの大江地区に移転しました。市街地にあった軍施設を大江地区に移したのは、第7代の熊本市長・高橋守雄です。高橋元熊本市長は上水道や市電の整備にも取り組み、市街地の発展につなげました。
高谷さんら調査チームは歴史資料を集める中で2枚の写真をみつけました。部隊紙の中にあったその写真は、現在の熊本県民テレビの一角にある門と同じものだということがわかりました。
「実際に測量をして調査しました。すると熊本県民テレビにあるほうが本来の正門で、マンション側にあるのは人が通るための脇門だということがわかりました」
正門だった場所には木製の両開きになるゲートがあったため、ゲートを取り付けていた金具が今も残されたままになっています。正門の裏側をみると穴が空いた箇所がありますが、機銃掃射の痕跡ではないと話します。ほかの戦争遺跡に残された爆弾の跡と比べると表面からの深さがないため、戦後なんらかのかたちで壊れてしまったのではないかと高谷さんは結論づけました。マンション側にある脇門には取り壊された擁壁の痕跡も確認できます。
戦後78年が経ち、戦争の語り部が少しずついなくなる中で、その場所に残された遺産から平和のバトンを後世に繋いでいく必要があると話します。
「平和のバトンとして、そして証言のバトンとして、地域に残された戦争遺跡と語り部などの証言を重ねて残していくことが必要だと思います。十分な説明の看板はないかもしれませんが地域を歩いて、疑問に思うようなところがあれば調べてみてください。地域の歴史の中に自分たちの今の生があるということを学んでいくというのも大事なことではないでしょうか」